猶追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に( なほおひてよもつひらさかのさかもとにいたるときに)
其の坂本在る桃子を三箇取りて、待ち撃ちたまひしかば、 悉に逃げ返りき
(そのさかもとなるもものみをみつとりて、 まちうちたまひしかば、ことごとににげかへりき)
しかしなおも追手は迫ってきて
黄泉の国の国境の平坂の下まで来た時
そこに桃の実が三つ実っているのを見て
それらを取り
待ち伏せして
それらの実を打ち付けたら
軍勢は逃げ帰ってしまいました
以上が現代語訳です
言霊学の解釈だと
イザナギがとうとう
黄泉の国の比良坂の坂本までたどり着いた時
桃の実を三つ見つけます
これがこの黄泉の国での
イザナギの収穫になります
イザナミが仕掛けた刺客によって
イザナギは黄泉の国の学問や言語を
一通り十拳剣で研究し検証しました
黄泉の国のヒラサカとは
ヒレというのは文字の書かれた布の事を指します
なので
外国の文字の性質(性=さが)のことを
黄泉の国のヒラサカと表現してるのだそうです
その坂本というのは
境目の本をさしているのだそうで
ここではイザナミの司る
ワ行を指しているそうです
そのワ行に桃の実が三つあったというのは
ワ行のワヰウヱヲの中の
「ヱヲウ」を指すそうです
客観世界からみた「ヱ」は実践理性の事で
客観世界からみた「ヲ」は
経験から得た純粋理性の事
そして客観世界からみた「ウ」は
現識の感覚の事・・
イザナギは黄泉の国という
客観世界の中で
この三つの感覚を自覚し
この三つの自覚を完成させて
自らの精神世界と客観世界とは
決して交わることのない両者の
境界線を明確に自覚した
・・・という事が
これらのお話の解釈になっています
ウイルス フリー。www.avast.com |